サンパウロで生まれバンコクで育った息子と、オヤジの「対話」(ダイアログ)を通じて世相を読む挑戦!

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立教大応援団第54回「十字の下に」
 とても満足した団祭だった。立教大学応援団の第54回「十字の下に」。同僚、元航空会社の人事担当の友人と3人で、これまでの団祭の中では最も前のほうに座って、堪能した。冷たく強い北風をおして、早くから並んだ甲斐があったというものだ。

 今期のリーダー幹部4人は、1年生のときから個性豊かな若者たちで、その成長ぶりがとても楽しみだった。今回僕といっしょだった2人は、今回が3回目の団祭なので、彼らが2年生のときから知っており、同僚は前澤くんが、友人は遠藤くんが、ずっとお気に入りで注目していた。僕は、テクの点では吉野くんがダントツで、新人のときから上級生を凌駕するような切れがあったし、他大学の同期はもちろん、幹部までもしのぐほどの鋭敏さで、かなりの逸材であると当時から気になっていた。

 その本心は、部外者のわれわれにはうかがい知れないところだが、今期の幹部4人はうまくまとまっていて、それがリーダー下級生に以心伝心で伝わっていたと思う。幹部4人がそれぞれ、自分の立ち位置と役割を自覚し、それに徹していたからこその力だったと思う。4人のもとで、来期を担うリーダー下級生たちがのびのびと闊達に、さらにテクを磨いてほしいと願う。

 リーダー長の遠藤くんの「ガクチュウ」を聞いていた傍らの友人は、「思わず声をかけたくなるほど、感動した。彼は本当に成長したなあ」と感激していた。後輩をいじったりするのではなく、ただただ褒め称え激励するその姿勢は、彼自身の本質を映したようにも見える。下級生も、これで明らかに背中を押されたのではないか。友人は「若い人たちから元気がもらえるって、本当にすばらしい」としみじみと話していた。

 団長・後藤くんの印象も、1年生のときから変わらない。神宮でも、腐ったり沈んだりした顔を見たことがない。いつも明るく、ムードメーカーだった。この日の有終の美を飾る場面でも、その良さが遺憾なく発揮された。「オレが、オレが」が跋扈しがちだが、一歩下がって同期や下級生に譲る姿勢こそ、彼の団長としての矜持ではなかったかと思う。彼のおかげでずいぶん統率のとれた応援団になったのではないか。

 一番先に辞めると思っていた前澤くんは、しぶとく続けて幹部まで上り詰めた。監督や先輩から一番叱咤激励されていたのは彼だが、そんな彼だからこそ、後輩への対応も手厚かったのだろう。僕は、彼は4年間もつかなと正直不安だったが、どっこいしぶとく、見事に裏切ってくれた。前澤くん、ごめんなさい。そして、ありがとう。

 吉野くんは、そのテクについては文句のつけようがない。今回の団祭ではもう少し出番があれば、もっとよかった。これぞ、リーダーのテクというものをより多くの人に披露してほしかったし、見てほしかった。

 今回いっしょだった2人は、「3年見続けると、来年も来なきゃ」と、早くも来期に期待を寄せた。立教の場合、他大学にはないアットホームな感じが漂い、立教出身ではないわれわれも、自然にその中に受け入れてもらえるような心地よさがある。ありがとう。また来年、かならず来ます。
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# by dialog25501122 | 2016-12-15 14:29 | Comments(1)
 
法政大学応援団第60回オレンジの集い
 幹部6人を1年生のときから見てきて、この日の晴れ舞台に立った姿に「よくぞ辞めずに頑張ったものだ」と心底敬服した。とりわけその思いが強かったのが、アイン君、西尾君、吉野君の3人だ。彼らの代のリーダー部は当初は9人だったが、幹部として残ったのは6人だった。その中でもアイン君ら3人は下級生のとき、いつも当時の幹部から、いつも「叱咤激励」されていた印象が強い。

 アイン君にはこの日、思わず声をかけてしまった。開演前に彼が会場に入ろうとした際、「1年のときからずっと応援していました。今年正月の箱根駅伝のとき芦ノ湖畔で強風の中、ずっと団旗を掲げている姿を見て感動しました」と。彼は「ありがとうございます。きょうもよろしくお願いします」と凛々しく答えてくれた。

 うれしかったのは、彼がこの日最後の最後に舞台正面で校歌斉唱を指揮するテクを振ったことだ。後ろには、今期の幹部が最前列で横一列に勢ぞろいし、万感の思いを込めて拳(こぶし)を振り上げ、法政伝統の「鋼(はがね)型」を体現した。僕がこの日もっとも感激した瞬間で、もう少しで涙が出そうになった。

 僕がアイン君を応援してきた理由は、彼がベトナム出身であることにも起因している。学生時代からインドシナ地域に関心を寄せ、就職後も取材で何度も出張し、家族で旅行もした思い出多いベトナム。日本人でも過酷な応援団の生活を、4年間辞めずに通してきたことには文句なく頭が下がる。幹部に昇格するまで、神宮球場の学生応援席では、彼が当時の幹部から怒鳴られてばかりだったという印象しかない。しかし、少なくとも傍目にはめげたようには見えなかった。とにかく、ひるまずに懸命に学生応援席の通路を駆け上り、駆け抜けていた。よく通る声で姿勢がよく、テクの切れも抜群だった。文字通りその集大成が、この日の校歌斉唱の指揮だった。

 下級生のとき幹部から怒鳴られてばかり、という印象は、西尾君にも根強い。しかし僕が彼に好感を持つのは、抜きんでてまじめで礼儀正しく、一生懸命な姿勢がいつもにじみ出ているようなところである。きっと彼は幹部に昇格しても、幹部然として振る舞うことなく、紳士だったのではないかと思う。この日、僕は観客席で偶然、西尾君一家のすぐ後ろにいた。おじいちゃん、おばあちゃん、お母さん、お父さん、そして弟くん。西尾君が舞台に登場するたびに、おばあちゃんは両手を上げてさかんに拍手をしていた。後半になると、お母さんは目頭を押さえることが多くなった。幹部の引退の晴れ舞台に家族総出で応援に来る光景は毎年見るが、本人はもとより、家族もきっと大変だっただろうと思う。ご苦労さまでした。

 そして、吉野君。「辞めずにいてくれてありがとう」と、とにかく言いたい。その頑張りと忍耐力に敬意を表したいと思う。今期の幹部6人のうち、樋口、龍口、小林の3君と、アイン、西尾、吉野の3君を二つのグループに大別すると、下級生のときに幹部から怒鳴られることが多かったのは、明らかに後者のグループで、とりわけ吉野君は再三注意されていた。理不尽なこともあっただろうが、めげず腐らず、幹部を務めあげた。清々しい思いにさせてくれて本当にありがとう。

 リーダー部ばかり取り上げたが、吹奏楽部の演奏も例年の「オレンジの集い」の中でも特に素晴らしかったし、50人以上が集うチアリーディング部の演舞も圧巻だった。

 神宮球場から少し遠ざかっていたが、力をもらえる応援、見る者を鼓舞する応援を改めて確認できた「オレンジの集い」だった。
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# by dialog25501122 | 2016-12-08 16:29 | Comments(1)
 
第63回「六旗の下に」感想戦④完
 第63回で印象に残ったことをほかに列挙すると、早大・鈴木主将の「勝利の拍手」はなかなか見応えがあった(あえて順位をつければ、立教・遠藤君の次に良かった)▽明大・上村班長は気合十分、元気はつらつとして応援団全体を下支えしているような頼もしさを感じがした▽校歌斉唱時のリーダー下級生の腕の振りは、法政と明治が理想的な「鋼型」を体現していて小気味よかった(拳を上げる角度は法政の方が高いが、角度の高低は各校応援団によって違いがあり評価の対象外。力強さとキレの良さという点で法政、明治とも甲乙を付けがたく美麗だった)▽東大のリーダー1年生の大量入部を歓迎したい(ぜひ幹部になるまで頑張ってほしい)――である。

 ほぼ1年前の第62回以降、秋季、団祭、そして今年の春季を通して六大学の応援団(部)を見てきて、やっぱり、彼らリーダーの愚直なまでのひたむきさと真摯な姿勢は、まるで金太郎アメのように、時代がどんなにうつろっても見る者の心に突き刺さるものがということを改めて実感した。

 応援団(部)の組織の規模は、大学によっても年によっても違う。1年生の時の陣容が「豊作」だからといって、彼ら全員が幹部に上り詰めるまで残る(あるいは、残れる)かどうかわからない。また、規模が大きいからといって、それを構成するそれぞれの「個」が輝きを欠いていたなら、数の力にもなり得ない。逆に幹部がたった1人でも、「個」としての絶対的な力があれば、数の力など問題外であることは近年の東大応援部の例を見ても明らかである。

 他方、応援団(部)を組織論的見地から考察してみる。組織としての応援部(団)にあっては、純然たる「個」の存在は許されない。個人の行為が必ず誰かしらと連帯しているため、責任の取り方も「個」だけでなく全体に及ぶケースが多い。

 応援団(部)で幹部まで上り詰めた彼らは、とにかくすごいと思う。第62回でも、第63回でもその会場で、途中で退団(部)した元リーダー部員を何人か見かけた。辞めるにいたった理由は人それぞれであり、詮索するつもりは毛頭ないが、いまも続けている同期の学生との違いを、その外見ではない何かに感じた。

 応援団(部)は「個」の集合にはちがいないが、組織の中では下級生は各自まるで同じ細胞のように個性を自分の中にしまい込んでおかねばならないときがある。その一方で、組織を維持するには「個」のそれぞれがおのおのの存在責任に関与しなければならず、痛みさえも分かち合う緊密な連帯を持ち続けなければならない。まことにもってやっかいこの上ない。

 しかも、応援団(部)には上下関係をつかさどる「規律」と、下級生同士あるいは同期同士の間でのみ通用する躾(しつけ)という名の「掟(おきて)」がある。タテの規律と、ヨコの躾。これら二つは似通っているようで実は互いに相容れない価値観をもち、しかもそれが複雑に絡み合っている。彼らがそれぞれ内に秘めていた「個」を前面に押し出しようやく開花できるのは、幹部になってから。だから、どんどん弾けてくれ。幹部はみな、自分をわきまえていて、かっこいい。若いのに風格があって、実にあっぱれである。

 応援団(部)を幹部まで務め上げた若者たちにとって、実社会に出たあとの会社組織はいったいどのように映るのだろう。彼らは下級生のときからありとあらゆる規律と躾の中を耐え生き抜いてきたから、ひょっとすると、いかなる組織のいかなる環境、境遇に置かれてもすぐに順応したり対応できたりするのではないか、と思う。人事部の採用担当者が彼らをほしい人材として挙げるのは、当たり前である。最近の日本企業は総じて元気がなくなってきているが、僕も若ければ彼らと同じ隊列で働いてみたかった、と正直そう思う。中高年オヤジの、かなわぬ夢である。
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# by dialog25501122 | 2016-07-15 18:38 | Comments(0)
 
第63回「六旗の下に」感想戦③
 今回の「六旗の下で」で、ひときわ大きな声援があったのは、東大の峯崎主将が舞台に立ったときである。今期の東大応援部のリーダー幹部は彼1人。最後まで1人で幹部の任をまっとうした。
 
 応援部(団)の強さは、数の力と「個」の力で成り立っているというのが、僕のかねてからの持論である。ただし、とにもかくにもひたすら好きなだけであって、「応援部通」を任じているわけでは毛頭ない。美しいテクは見る者に等しく「美の本質」を感じさせるし、無心の境地にいたる応援ぶりは心を揺さぶらずにはおかない。われわれ見る者の「美」の意識や心の琴線は人によって多少違うが、おおよその共通の部分はある。僕はこれまで、この共通の部分について努めて書いてきたつもりだ。

 神宮球場で六大学の応援部(団)の諸君の所作をまじかで、こまかに観察しながら時にはメモを取りながら見てきた。六大学ファンにはスコアブックを付けたり戦況をメモしながら観戦したりする方もいるが、僕のように応援部(団)の全体や個々の動きをメモしながら、グラウンドの選手よりも、学生応援席の中央指揮台やサブ席、通路、スタンド最上段の鏡席で躍動するリーダー部員を追いかけている者はさほどいないのではないかと思う。

 学生応援席と通路を一つ隔てた内野席の中央通路から後方通路までの端っこの列は毎回、おおよそ同じ顔ぶれだ。だれも六大学ファンであることには間違いないが、応援部の吹奏楽とチア、リーダーのテクの3部門を総合的に「借景」した観戦の流儀だと思う。それぞれの楽しみ方があっていい。

 僕の場合、グラウンド上での贔屓(ひいき)のチームはなく、観戦の目的はあくまで、応援部(団)である。彼らが応援する母校のチームが負けた際には申し訳なく思うが、野球の勝敗よりも応援合戦を評価してきた。だから、対戦した双方のチームの応援部(団)がともに「勝つ」場合もあるし、「負け」とは言わぬが「心が揺さぶられなかった」と落胆した時もある。

 東大の学生応援席にあれほどのファンが集まり、時にはスタンドのほとんどが東大の応援に回ってしまうのは、グラウンドの選手と東大応援部に何かのシンパシーを感じさせる「磁力」があるからだろう。残念ながら、僕は東大が勝ち点を取った試合は見たことがないが、勝った試合は何度も見た。そのたびに、その場に居合わせたことが実に幸運で、東大の野球部の選手諸君や応援部の諸君に感謝したいと思った。鳥肌が立つような感動を、まさか神宮球場で大勢の人たちと分かち合えるとは思わなかった。東大の試合からいよいよ目が離せなくなってきたのは、六大学の垣根を超えて、僕のような「にわか東大ファン」がさらに増えたからではないかと思う。

 峯崎主将は、下級生の途中からリーダー1人になってしまった。しかし、孤塁を守りきった。多くのファンが彼を評価するのは、その卓越したテクと、ほとばしる気合もさることながら、彼の「個」の強さに感じ入り、魅了されたからにほかならない。彼は、応援部(団)の強さは、数の力に頼らずとも、「個」の力で十二分に対応できることを自ら体現しているのだ。

 リーダー幹部1人の時代といえば、やはり岡﨑幸司主将が記憶に鮮やかに残る。応援部を引退した後も医学生として真摯な発言を発信し続けてきたし、研修医になってからもさきの熊本地震の際に急きょ帰省して活動するなど、八面六臂の活躍ぶりである。応援部(団)を引退してもその心意気を忘れず、社会の中でそれを昇華させている。その姿は応援部当時の彼を見てきた者にはうれしいし、頼もしい。六大学の応援部(団)を巣立った若者たちがさまざまな形で元気に活躍してほしいと切に願っている。(④に続く)
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# by dialog25501122 | 2016-07-15 14:33 | Comments(0)
 
第63回「六旗の下に」感想戦②
 「この4人が幹部になった時のそろい踏みが見てみたい」。2013年の春季リーグが終盤にさしかかったころのことだ。僕は、神宮球場の立教大の学生応援席にほど近い内野席のいつもの席で、この年に入学した立教のリーダー新人の4人を見て、早くも4年先を楽しみに思い描いたことを、いまもよく覚えている。この春、それが現実のものとなった。

 4人が入学以来、春季と秋季の応援ぶりをずっと注目してきた。とくに去年師走の団祭「十字の下で」に行って、「さあ、来年はいよいよだな」と、期待は大いに膨らんだ。ここ何年か、家族のほかに「応援団」というものをまったく知らない友人を誘って「十字の下に」に行っているが、去年の立教応援団は生え抜きのリーダー幹部がいなかったため、迫力を欠いた。あいさつもガクチュー(学生注目!)も、やたら「えっと、えっと」が多くて耳障り。伝わってくるものが何もなかった。

 その前年の伊藤君を団長にいただいた代の団祭を初めて見た友人は、その鮮烈な印象が強すぎたせいか、去年の団祭には少し落胆した様子だった。その時点でも、すでに当時リーダー3年だった4人のテクの切れの良さは、ずぶの素人である友人たちが見ても一目瞭然。彼らまでも「この4人が幹部になる来年は楽しみですね」と期待を込めた。

 さて、4人とは後藤、遠藤、前澤、吉野の4君のことである。4者4様の個性があり、それが絶妙のバランスと調和によって、この春、大きな威力となった。

 吉野君のテクは、1年のときから他大学の同期のリーダーと比べても群を抜いていた。とにかくキレが違う。僕が「光速拍手」と呼ぶ、両手を同時に大きく旋回させながら左右の手の平を胸の前で合わせる形で連続して拍手する「技」も、形、スピードの点で他のだれよりも勝っている。今年の「六旗の下で」でも、明らかに華麗で速かった。今期の六大学のリーダー幹部の中でも、そのテクのキレはトップクラスではないかと、僕は思う。

 「幹部になるまでもつかな」とずっと不安視していたのは、今期、旗手長を務める前澤君だ。下級生のとき、神宮球場の中央指揮台のそばで、あるいは、サブの場で、監督やコーチ、幹部から繰り返し叱責されていたことを思い出す。彼は他の同期3人よりも背が高く、手が長い。動作が大きく見えるメリットがある半面、テクにスピード感を欠くことがあり、ピシッと決まらないときがある。それでも、彼はひたすら頑張って、頑張って、続けてきた。試合前の朝練の段階から見ていると、一切手抜きのない、その一生懸命さが伝わってくるから、思わず「ガンバレ!」と背中を押したくなる。きっと一番早く辞めてしまうだろうと思っていた彼が予想を見事に裏切り、幹部の座に上り詰めたのだ。前澤君、早計な判断をしてゴメンナサイ。しかし、この裏切りは実にうれしい。

 団長後藤君、リーダー長遠藤君の印象も、1年の時からまったく変わらない。後藤君はどんな時もひるまず、穏やかで冷静さを維持している。理不尽さを表情で訴えたり、不満げな顔を見たりした試しがない。さきの「六旗の下に」での彼の校歌の指揮は、「演舞」という言葉がまさにぴったりの流麗さがあった。

 遠藤君はいつも元気がよくて、声がとにかくでかい。張り切りボーイを絵に描いたような存在だ。しかし、「静」のたたずまいも備わっている。リーダー長として、今回の「六旗の下で」で演じた「勝利の拍手」では、フィギュアの技「レイバック」を思わせるような上半身の見事な反りとバランスの取りようで、観客席からも感嘆の声と拍手が起こった。

 こうして見ると、このリーダー幹部4人を擁する立教応援団は今期、やはり見応えがある。「今年は絶対いいですよ」。僕は去年の団祭に誘った友人たちにすでに今年12月の団祭のことを伝えている。会場となる立教大構内のタッカーホールは間違いなく、興奮と感動の渦がわき起こるだろう。応援団の諸君にはまことに申し訳ないが、僕は野球の勝敗の行方よりも断然、応援団のほうに関心があるのだ。(③に続く)
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# by dialog25501122 | 2016-07-13 14:19 | Comments(0)
 
第63回「六旗の下に」感想戦①
 日比谷公会堂での第62回からはや1年あまり。気がついたら、このブログも1年休んでいた。この間、神宮球場に何度か行ったし、いくつかの団祭にも足を運んだが、僕の中では今期いくつかの大学の注目していた幹部の姿を見届けたうえで、ひとまず一区切りを付けたいという気持ちになった。

 いまもそのひたむきな応援ぶりを見るたびに心を動かされるが、かつてのような、涙が出るほどの感動が、残念ながらなくなってきた。見慣れてしまったのか、己の心に焼きが回ってすさんでしまったのか。あるいは応援の迫力が、全体としてスケールが小さくなりつつあるのか、突出した「個」として注目すべき人材が少なくなりつつあるのか。

 理由はよくわからない。いずれにせよ、東京六大学のリーグ戦を全試合観戦した年もあったし、すべての団祭に足を運んだこともあった。今年の正月も例年と同じように家族4人で箱根駅伝(往路)を元箱根の定位置で観戦した。これらを通じて東京六大学各校の応援団(部)の応援をまさにかぶりつきで堪能させてもらった。いま思い出しても、その時々の心の躍動は忘れがたいし、記録したものを読み返すと当時の興奮があざやかに蘇ってくるのだ。

 今年正月の箱根駅伝の応援では、法政が予選会から勝ち上がって出場を果たしたので、応援団も前年、青学に譲っていた本来の応援場所に戻ってきた。僕らもその真正面で、樋口君を団長とする新しい幹部の下での法政伝統の応援を最初から最後まで堪能した。

 中でも、1年のときから注目していたアイン君が、栄えある旗手長になり、自分のことのようにとてもうれしかった。正月の芦ノ湖は、湖面から否応なしに冷たくてやたら強い風が吹き付ける。アイン君は必死の形相で、最後まで団旗を守り、新年の青空に映えるように雄々しくたなびかせた。最後までその勇姿を見届けた娘は、「アイン君すごいね。ただただ感動した」と感嘆した。

 アイン君は、通る大きな声の持ち主でもある。第62回「六旗の下に」を息子と見に行ったときのことだ。3年部員として壇上で校歌を斉唱していた彼の声は、一緒にいた息子が「アイン君、際立っていたね」と指摘するほど、ひときわ大きく聞き取れた。今回(第63回)もフィナーレの際、やっと彼のきびきびとしたテクを見ることができた。彼は旗手長として樋口君らが演舞をしている際、ずっと団旗を掲げていたのだ。僕は壇上の団旗を時折見ていたが、旗頭は少しも揺れていなかった。正月の箱根駅伝の応援の際に、芦ノ湖から吹き付ける冷たい強風の中で凜として団旗を掲げ続けた彼のことを改めて思い出し、心が震えた。

 幹部では西尾君、吉野君もいい。1年の新人の時から彼らリーダーを見てきた。残念ながら途中で2人が抜け、法政のリーダー幹部として残ったのは最終的に6人。そのうち、樋口、龍口、小林の3君と、アイン、西尾、吉野の3君は少し違っていた。僕の記憶の中では、後者の3人は下級生の時、幹部やリーダー長からいつも叱責されていたような気がする。神宮球場での試合前のスタンドでの朝練の時から、本番の最中も、である。しかし彼らはめげず、耐えてきたからこそ、晴れの今の舞台がある。苦労したからこそ、下級生の苦労がわかる、控えめななかに芯の通った頼れる幹部の風格がある。

 西尾君は下級生の時から、学生応援席でいつも大きな声でスタンドを鼓舞しながら息つくひまもなく、縦横無尽に駆け続けていた、という印象がある。見るからに真面目そうな実直な人柄のようだ。吉野君は3年まで、中央指揮台のそばに立ち、対戦校とのエールのやり取りの際の差配やリーダー下級生への指示・伝令役を務めることが多かった。幹部から怒鳴られることが何度もあったが、法政では代替わりするたびに見慣れた光景であり、彼一人が責められてきたわけではない。下級生のミスの責任をかぶるのも、上級生の役目。吉野君は腐らず潔かった。

 さて、こうした幹部6人を擁した法政は、今年の第63回の当番校を務めた。舞台を昭和女子大人見記念講堂に替えての開催で、きっと大変だったと思うが、その責務は十分果たしたと思う。樋口君の声は、他大学の団長(主将)にj比べても、一番通っていたと思う。

 ただ、あえて苦言を。少し惜しむらくは、龍口くんのあいさつ(口上)である。おそらく、十分準備をしていなかったのか(よもやこれまで数々の大舞台を踏んできた彼に限って舞い上がってしまったということはないだろうが)、しまりを欠いた。もう少しメリハリをつけて、簡潔明瞭に決めてほしかった。

 いまも僕の記憶に鮮明に残るのは、団長原君、副団長鳥羽君の「法政二高コンビ」が率いていた代の流麗な演舞と明瞭簡潔なあいさつである。この代の「オレンジの集い」はとくに素晴らしかったと思う。法政応援団の歴史と伝統を感じさせるに十分なもので、僕の中では残念ながらそれ以降、幹部全体の枠組みでみた場合、あの代を凌駕する幹部には出会えていない。

 むろん、好き嫌いもあろう。ただし、人事部の採用担当者が見て「ぜひほしい」と思わせる人材はそう多くはいない。僕も贔屓(ひいき)目にならないよう心がけて見てきたつもりである。

 今年はこのあと、秋季リーグ戦を経て、「オレンジの集い」と立教の団祭「十字の下に」だけは必ず行こうと決めている。これでひとまず、自分の中で区切りをつけようと思う。1年の時からめざましい活躍ぶりで抜きんでていた龍口君が最後にどんなテクを披露し、あいさつをするのか、ぜひ聞き届けたい。そして、アイン君、西尾君、吉野君の最後のテクも見ておきたい。

 この感想戦を書き始めた当初は1回限りにしようと思っていたが、どうも書き足りない。急きょタイトルに「①」を付け、次回残りを続けたい。今期の幹部の中では、法政に次いで思い入れがある立教の幹部4人について、である。(了)
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# by dialog25501122 | 2016-07-12 17:20 | Comments(2)
 
「第62回六旗の下に」を見て
 僕にとって5度目の「六旗の下に」。今年で62回を数える歴史と伝統のある催しだが、意外にまだ多くの人には知られていない。聞いてみると、春季と秋季に毎回、学生応援席の最前列に座る強者の中にも「知っているけど、行ったことはない」と言う人もいた。

 さて、今回。自分の中では5度目ということもあって正直なところ見る前から、中だるみ感のようなものがあった。が、実際に見てみると、これまでと同じような感動があり、終始、その勢いと迫力に圧倒された。

 特に今年は、会場に充てられた日比谷公会堂が大規模改修工事のため2016年度から長期休館し、再開は20年以降になる見通しであることから、「ひょっとしたら日比谷公会堂での六旗は最後になるかもしれない」との観測もあって、始発電車で一番乗りして整理券をゲットした人もいたりして、いつもより人気が高かった。

 日比谷公会堂は東京市長だった後藤新平が1929年に開設した由緒ある建造物で、歴史的建造物を保全しながら耐震化工事を進めるので、工期は4年以上かかるという。僕も、日比谷公会堂での六旗はこれで見納めになるかも、と思いながら、外観を写真に収めたりした。

 開場前、公会堂近くのベンチに腰をかけたら、隣のお年寄りから「整理券はもう取られましたか?」と笑顔で声を掛けられた。「はい、なんとか」と答えると、「きょうはうちの孫が出るもんですから、見に来たんです」とこの男性が穏やかな表情で話し始めた。慶応の応援指導部リーダー幹部のおじいさんだった。この男性の孫に当たるリーダー幹部は神宮球場でよく見ているのですぐに分かった。おじいちゃんとそっくりな顔である。30分ほどいろいろ話をうかがい、一方的にしか知らなかったこのリーダー幹部にますます親近感をおぼえた。

 六旗はいつものことながら、わが子、わが孫、わが友の晴れ舞台を見ようと、その家族や同級生、友人らが大勢詰めかける。さぞかし誇らしいことだろうと思う。僕の列の近くに、やはり早稲田のリーダー幹部の家族が並んでいた。僕の友人が同じ県の出身なので、その方言でピンと来た。この幹部もまた、お母さんにそっくりだった。この日は全日本大学野球選手権の準決勝(上武大と対戦しコールド勝ち)でもあったから、リーダー幹部は神宮球場から駆けつけたのだった。

 以下、感じたままの寸評である。

 【法政】日比谷公園で一番最初に練習を始め、開場時間近くまで練習をやり通した。3年樋口君は「練習でできないことは本番でやれっこない」と練習を繰り返す。団長長崎君とリーダー長風間君は終始厳しい表情だった。本番では、幹部2人の迫力が空気に振動して伝わってくるようだった。校歌を歌う3年アイン君の声が一番大きく、通っていた。さすが法政、とうならせるようなテクと気合だった。
 【慶應】ストーリー性をもたせた、いかにも慶応らしい演出。リーダー長の八代君はやはり、決まっていた。副将山崎君の迫力ある声も申し分なし。リーダー志望1年の数の多さに驚いた。彼らが幹部になった時の慶応はいったいどんな力を発揮するのだろう。楽しみでもあり、脅威でもある。
 【明治】リーダー下級生の腕の上げ下げが、ほぼ全員いわゆる「鋼型」。見ていて気持ちよかった。応援指導班班長の諏訪原君のテクはさすがに鋭かった。
 【東大】主将山東君は声も大きいし、「勝利の拍手」も素晴らしかった。風格すらある。尾形君のMCは軽妙。3年峯崎君も当意即妙。さすが東大、と思わせた。そして復帰した船田君と西川君、さらに新人2人の気合も十分。数に頼らない、「個の応援」の強さを改めて見せつけた。
 【早稲田】3年鈴木君のMCが絶妙。各校の舌戦も「六旗」の楽しみの一つだが、鈴木君は間違いなくAクラス。幹部8人は威風堂々。安心して見ていられる安定した演舞。春季リーグの覇者にふさわしい力強く凄みのある応援だった。
 【立教】今年の「六旗」の当番校。主将佐藤君の生真面目さが伝わってきてよかった。新人責任者延沢君には「かわいい!」という声が飛んだが、気合が入っていた。そして、期待の下級生3年の4人組も、それぞれの持ち味を発揮した。来季が早くも楽しみである。
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# by dialog25501122 | 2015-06-18 18:47 | Comments(1)
 
2015年東京六大学野球春季リーグ応援戦総括(その4・完)
 春季の総括を終えないうちに、「六旗の下に」と「全日本大学野球選手権での早稲田の優勝」という大きなイベントがあった。二つのイベントについて書く前に、春季の総括を終えておきたい。

 今季の六大学の応援団はどこも気合十分でテクのスキルが高く、甲乙をつけ難かった。秋季は各校とも夏の合宿などを経てさらにテクに磨きがかかるだろうから、いまから楽しみだ。ただ、土日の全試合の応援を見ることができた今季は好天にも恵まれまさに奇跡で、残念ながら秋季のカレンダーを繰ってみると、すでに行けない日がかなりある。今季の予定された全試合制覇はおそらく、最初で最後だと思う。

 神宮球場で、ただひたすら脇目もふらず母校の応援に献身的な努力をする若者を見て、心を突き動かされ、新たなエネルギーをもらう。僕が春と秋に神宮に通う理由は、これに尽きる。野球より応援、である。だから、ゲームの展開や個々の選手についてくわしく解説してくれる人の話は実にありがたい。そのまま、すんなりインプットされる。

 一方、応援についていえば、リーダー部だけでなく吹奏楽部やチアが好きな人もいるし、三つの部を総合して応援を楽しむ人もいる。僕は、リーダー部だけに偏っているが、吹奏楽部もチアも応援の大事なパートを担っていることは理解しているつもりだ。ただ、「質実剛健」を一番体現しているのはやはりリーダー部であり、僕の場合はどうしてもリーダーたちばかりに目が向いてしまう。

 リーダーたちが舞うテクのかたちは、すなわち心だと思う。美しいものは断然、美しい。彼らは粗剛に見えるが気品がある。とくに下級生1年のときからずっと見ていると、学年が上がり、幹部になると間違いなく見違える。例外的に1年のときから大器を思わせる人もいるが、不器用でも愚直に練習に励んできた人は必ず変貌する。彼らはいったん勢いに乗ると、悍馬(かんば)のようになる。その変化がまさに驚きであり、人間として内面的な成長をも感じさせるのだ。剛胆な者もいれば繊細な者もいる。いろいろな人材がそろって初めて強力なリーダー部になれる。彼らの無心な動きは、見ている僕たちの心を動かし、熱くする。

 僕はリーダーたちのたゆまぬ研さんの姿をラグビーや山登りにたとえることがあるが、一面でボート競技にも似ていると思う。僕の友人は学生時代、シングルスカルで世界選手権に出場した経験を持つ文武両道のオヤジだが、ダブルスカルやフォア、エイトはシングルよりずっと難しいという。息を合わせるのがとにかく大変だそうだ。エイトになれば漕ぎ手が8人、コックス(舵手)1人という大所帯だから、いまのリーダー部でいえば、早稲田の幹部の人数がそれに1人足りないだけで、慶応のリーダー志望1年の人数はそれを上回る大所帯。息を合わせるのは至難の技だが、息が合うと限りなく美しい。今年の「六旗の下に」で、舞台狭しと迫力満点のテクを披露した今季の早稲田の幹部たちの姿がまさにそれである。

 六大学の応援部(団)の若人たち。春季もたくさんエネルギーをもらい、背中を押してもらいました。ありがとう。秋季も心身ともにさらに成長した姿を心から楽しみにしています。
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# by dialog25501122 | 2015-06-15 14:09 | Comments(0)


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